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動き出した歯車(その27)

俺に向けて放った鬼畜な雑言と、今の言葉とのギャップに混乱して完全に注意が疎かになっていて、そのため
不意をつかれた格好になってしまった。
気が付いた時には、もう鼻先寸前。
反射的にパンチを肘で叩き落し、がら空きの顎に掌底を思い切りぶち当てる。道場で習った基本の内の一つ。
考えるまもなく、体が自然に動いていた。
先輩の顔が90度横に曲がり、同時にその場にガクッと膝をつき、崩れ落ちた。
終わりだ。手の感覚からいっても しばらくは目を覚ます事もない筈だ

けれども、そうはならなかった。
先輩はすぐさま顔を起こすと、両手で上体を支え必死の形相でこちらを睨み付けている。
下から睨む先輩の目線は、変わらず、はげしい敵意を俺に向けていた。
とはいえ、上体を支えている両腕はプルプルと小刻みに震えている。
もう、この人に戦闘を継続する力は残っていない。

それに……今さっきの先輩の科白で、こちらのやる気も萎えてしまった。
これ以上先輩を痛めつけても、こっちが悪者になるだけだ。
きつい視線を送るのをやめ、空手の構えを解いた。

「もう、終わりにしましょう 先輩」

「何だ……今更怖くなったか? 臆病者……俺は、まだ……やれるぞ……」

「まだやれるって……体起こすだけて腕が震えてるじゃないですか。そんな相手を殴ったって何の意味もないですよ」

「見くびるな…」

「見くびってるわけじゃあありません。正直、今の先輩の言葉で萎えちまっただけです。これ以上やっても、俺が悪者に
なるだけですから……ねえ 先輩、あれだけ後輩や仲間のこと思いやれるのだったら、香織のこと信じて……

「うるせぇ!お前にそんな事言われたかぁねぇよ!むかつくだけなんだよ!」

「……」

「うるせぇんだよ……、畜生。……何で、何でお前が……」
ふと見ると先輩の目に涙が浮かんでいた。
溢れる寸前の涙を目に浮かべ、先輩が俺を睨む。何だ?何故、そんな目で俺を睨む?そんなに恨まれるようなことを、あんたにしたか?

「お前のせいだ。香織はお前しか見てない。お前がいるから いつまでたっても俺はあいつの彼氏になれない
んだよ!……畜生、お前さえ、お前さえいなければ……」
そう言いながらフラフラの足取りでパンチを放ってきた。
当然放たれたパンチもフラフラ。避けるまでもない。
俺は一歩も動かないまま、それは空を切り 力なく床を叩いた。

「……畜生、……畜生」涙混じりの怨唆の声が部室を埋めていく。
もういい。先輩が何て言おうと、終わりだ。

相手に背を向け、部室を出ようとしたその時、一人の女の子が入ってきた。

「ひろクン!」

香織だった。
急いで走ってきたのだろう、息を切らせ 蒼い顔で 不安が顔一杯に広がっていた。 

「どうして、此処が……」

「さっき、クラスの人が、ひろクンが上級生に連れて行かれた って教えてくれて……もしかして、て思って
此処にきたの……どうしたの、これ?」
香織の指先がさっき殴られた口元あたりをなぞる。軽いけれど、鈍い痛みが口元に走った。

「大した事ない」
そう言って香織の手を払いのけた。今此処であまり詳しい事を話したくはないし、こいつを此処に一秒でもい
させたくない。とにかく、早く出なきゃ。
「帰るぞ」
香織の手を取って、教室に戻ろうとした。

しかし、その時既に香織の視線は別のものを捕らえていた。
俺は香織の手を掴む事は出来なかった。
手を取って一緒に帰ろうとする俺の手をすり抜け、香織が視界から消えた。

振り返った先には、子供の様に香織の懐に顔を埋めてしがみついている中川先輩と、その先輩を母親のように
やさしく抱き竦めている香織の姿があった。


その光景に、俺は何一つ言う事もできず、一人黙って外に出た。


扉の外には、サッカー部と思しき生徒が数十人たむろしていた。
何時攻撃が来てもいいように体に臨戦体制をとらせ、周りに人間に『来るなら来てみろ』と厳しい視線を送る。
けれど、そいつらは、哀れみの表情を浮かべつつ にやけた視線を俺に浴びせるだけだった。
何だよ お前ら!俺はたった今、お前らの仲間をぼこぼこに殴ってきたんだぞ。かかって来ないのかよ?!

心の中で吼えてみたところで、何も変わらない。
恋人を寝取った奴を殴って倒したというのに、まるっきりこちらが負けたのような感じだ。

負けた……そう、負けたのは俺だ。
殴り合いには勝った。……けれども、大切な人は戻って来ない。 景子も……香織も。



教室は、ピンと張り詰めたような緊張感と静寂に包まれていた。
唯一聞こえるのは、カリカリと机に置かれた紙の上を走る鉛筆の音のみ。
無駄口を叩く者など一人もいない。
学年最後のテストだ。みんな、必死に目の前の問題と格闘している。
俺だって同じだ。目の前に書かれた設問を読み取り、余計な事など何も考えずに 答えを導き出すのに専念す
る。ひたすら、ただひたすら機械的に読み取り、演算、回答を繰り返して行く。

余計なことを考えない……というと 聞こえは良いが、何のことは無い。そうでもしていないと心が押しつぶ
されてしまいそうだった。
あの日、先輩との殴り合いの喧嘩の後、家に帰った俺は 香織から電話で呼び出された。
その時の事が、俺の頭の中でずっと居座って離れようとしない。
ちょっとでも気を抜くと、それは俺の心に際限なく重りを投げ込み、押しつぶそうとした。

香織は、本当に先輩とのエッチの最中に俺の名前を呼んだそうだ。

俺と別れた後、先輩との仲もギクシャクしたらしい。
その事と、先輩が怪我をして態度がピリピリした事とが相まって 先輩を受け入れられなくなり、それでも無理して
した時に、言ってしまった との事だ。
曰く、俺とやっているんだ と言い聞かせながら、先輩とやっていたらしい。

10月、俺が無理やり言い出した別れ話が、香織をここまで追い詰めていたなんて 思いもよらなかった。
俺と一緒にベッドの中にいる事を思い浮かべながら他の男に抱かれていた あいつの心の中は、どんなだったのだろう。
なぜ、気付いてやれなかったのだろう。
あの時、俺の胴に廻された腕が解けようとした時、しっかり掴んで抱きしめてやれば……あの日、あいつから
『予行演習しよう』と言われたて せまられた時、そのまま受け入れていれば、事態は変わっていたのだろう
か……。少なくとも、あいつを此処まで苦しめる事にはならなかった。……そして、あいつも あんな事言わ
なかった筈だ……。


結局、香織は先輩のもとに戻る事を選んだ。
『到底信じられない事を言ったのに、それでも『信じる』と、『やり直したい』と、言ってくれた。そんな先輩
が今、怪我で 長年の夢だったプロサッカー選手への道を閉ざされようとして 傷ついているのを、放ってお
く事なんてできない』そうだ。

確かに傷ついていただろう。けれど、その傷を癒すため 景子とよりを戻そうとし、関係を結んだ。そんな姑
息な浮気者なんだぜ、先輩は。

けれども、その事を、あの日音楽室の中で起こったであろう事を、香織に言う事ができなかった。

『先輩を支えたい』と語った香織の目は堅い決意に満ちていた。
今更こんな事を言ったところで、こいつの決意は変わらない。ただ苦しめるだけでしかない。言うだけ無駄だ。



違う。そんな格好良い理由じゃない。

怖かった。
言ったところで、あいつの気持ちが俺に向くはずはないのは、解っていた。
でも、言えば嫌でもそれを見せ付けられる、それが、耐えられなかった。
何の事はない。一番可愛いのは自分だって事だ。

違う!俺は香織の事が好きだった。香織の幸せを願っていた。
もう、かつての様な仲に戻れないのは解っている。
だから香織が選ぶ相手が俺以外であっても、それがこいつにとって幸せなら俺にとっても幸福な事の筈……
だから、あいつの気持ちが俺以外に向いていたとしても、それであいつが幸せならば自分も満足な筈だった。

けれど、駄目だった。あいつの相手が中川先輩だという事に、我慢ができなかった。
何故、あんな最低野郎を……結局 自分のプライドがこれ以上傷つくのを恐れただけに過ぎなかった。


結局、こんな事を頭の中で行ったり来たり、どうにもならない事で鬱々としていた。

最低なのは、先輩じゃない。俺だ。

こんなに情けない自分に吐き気がする。
いつの間に俺はこんなに臆病になったのだろう。いつの間に、こんな駄目人間思考回路になってしまったのだろう。

景子からは、相変わらず何の連絡も無い。というか、彼女は学校にさえ来ていない。

景子……今の俺にとって大切なのは、香織じゃなくて景子だ。
景子に会いたい。そして、何も無かった様に、あの時の様い にっこりと微笑んで抱きしめて欲しい。
俺には君しかいないのだから。


願いが通じたのだろうか、期末試験も終わり 3学期も残す処あと数日という日、彼女は学校にやってきた。

その日は、いつもの様に機械的に体を起こし、食事を胃の中に流し込み、服を着替えて、手足を学校に向けて
動かしていた。
今の俺にとって、此処に来る意味はまったく無い。ただこの学校に籍があるから、
生徒である以上 授業のある日は登校しなければいけないから、来ていたに過ぎない。部屋に引き篭もって登校拒否をする度胸が無かっただけだ。
昇降口を入り、上履きに履き替え、校舎内の廊下に一歩足を踏み出す。

――今日も無意味な一日が始まる――

溜息をついて教室に向かおうとするところで、彼女と出くわした。

彼女は、クラスメイトたち5、6人に取り囲まれ にこやかに談笑しながら自分たちの教室の方へと歩いてい
るところだった。
胸に溜まっていた錘のような物が、スッと消えていく。

良かった、また会えた。これでまた彼女と一緒にいられる。そう思いながら彼女の方へ1、2歩足を向けるの
とあわせる様に彼女の顔がこちらへ向き、視線が合わさった。

と同時に、足が止まった。


何故? 嬉しいのに、一目散に駆け寄って抱きしめたいのに、まるで彼女の視線に足が石化したかの様に、動
かなかった。

俺の見つめる先の彼女の目は、何か異様な光景に出くわしたかの様に凍り付いていた。


時間は2~3秒か、その時間が酷く長く感じられた。
周りの人間が奇異の目でこちらをじろじろと眺めながら過ぎ去って行く。
何と言うか、自分と彼女の周りだけが時を止め、それ以外は淡々と正常に時が流れて行く、そんな奇妙な感覚だった。
程なく、呪縛は解かれ、全ては正常な時の流れに戻り、動き始める、と同時に彼女は何も見ていないかのよう
に視線を回りのクラスメイトへ戻し、教室へと歩き出した。
彼女と視線が合わさったのは間違いない。俺だというのも解っているはず。
なのに、何故あんな顔をしたんだ?何故、目をそらした?

何故……この場からそそくさと離れようとした?

暫くの間、その場から足が動かなかった。


放課後は、いつもの様に音楽室でピアノに向かっていた。
そう、いつもの様に。あの日の事など無かったかの様に、ピアノの上に楽譜を広げ、曲を演奏していた。

―――いつもの通り、ピアノを弾いていれば、いつもの通りに彼女はやってくる―――

何の根拠も無い。それどころか、今朝の事を考えると、こんな所でのんびりピアノを弾いている暇なんか無い
のは、誰が考えても解る事。

解っていながらその場を動かず、鍵盤に向かって黙々と指を動かしつづけた。
そうする事しか、彼女に会う術はないと心に念じつづけ、ひたすらピアノを弾き続けた。

何曲目だろうか、そろそろ帰ろうかと思っていた時に、誰かが入り口辺りに立っているのを感じた。

彼女だ。見なくても解る。
と言うか、1学期の半ば過ぎから、此処に来るのは彼女しかいない。
この時期になって彼女以外にこんな所にくる人はいないのだから。

でも、彼女だったら、いつもの場所に座る筈。けれど、その人影は入り口から一歩も中に入ろうとしない。


――やっぱり、彼女じゃないのか?それじゃ、誰?それともやっぱり彼女なのか?それなら何故入って来ない?――
そんな堂堂巡の思いをしている内に、弾いていた曲が終了する……と、後ろの影が動く気配を感じた。


――待ってくれ!このまま、帰るのか?……駄目だ。声を聞かせてくれ。俺の思いを受け取ってくれ。
神様……ほんの少しでいい。彼女と話し合う時間を下さい。――


……でも、彼女の気持ちはもう……

縋る気持ちで恐る恐る振り返った先には、彼女―――遠野景子が蒼ざめた顔で立っていた。


何故?どうして……やはりもう駄目なのか?俺との事は、もう終わりなのか?

会いに来てくれた事の嬉しさより、これから起こる良くない事を想像して、顔が引きつる。……駄目だ、それ
じゃ!愛する人との再会に相応しいのは、とびっきりの笑顔だ!!!

ともすれば不安な顔つきになるのを気力で押さえつけ、無理やり笑顔を作って、彼女に言葉を向けた。

「学校から急にいなくなって、電話も通じないし、心配したよ。……もう、会えなくなるんじゃないかと思った」

「ごめんなさい」
返ってきたのは、再会を喜ぶ科白ではなく、謝罪の言葉。
何故?君は何を謝っているんだ?
急にいなくなった事?何の連絡もよこさなかった事?……それとも……

「どうしたの?何日も学校に来なくなって。何か事故にでもあったの?

「あのね……父が転勤で、それで私も、転校……する事になったの」

それは、知っていた。
昼、クラスメイトから聞いた。
まあ、君の口からでなく、他の人から聞かされたのはショックだったけれど。
けれど、俺たちにとって、こんな事は何の障害にもならない筈だ。

「……知ってる……でも、何か急……だよね」

「うん……最初は、父だけが単身赴任で行く予定だったの。でも、健康診断で血圧が高いのと不整脈がでて、
とても一人で行かせるわけにはいかなくて、母もついて行くことにしたの」


「そうしたら、今度は父が『大切な娘を一人残してはいけない。転勤は拒否する』ってごねだして、それで家
族全員で引っ越す事に決まったの」

「そう、お父さんの健康に不安があるんじゃあ、家族がついてあげないとね。寂しくなるけど、しょうがないな」

「それでね、やっぱりあなたには『さよなら』を言わなきゃいけないと思って……」

首から上を流れていた血の気が、音を立てて引いていく。
同時に、舌の付け根の辺りがぐんと腫れ上がって喉を塞いで行く。
喉の奥で栓をされたような感じで、息苦しくて、気持ちが悪い。

「今……何て……言ったの?」

「………………だから…………『さよなら』って……もう、会えないと思うから……」

「そんな……『さよなら』なんて『もう、会えない』なんて……悲しいこと言わないで」
駄目だ。さよならなんて、絶対に駄目だ。そんな事、させるもんか!駄目だ駄目だ駄目だ。絶対に、駄目だ!

「住む所が変わるだけだろ?だったら、そんな会えないなんて事ないよ。……そうだ、5月の連休にも君に会
いに行く……」

「無理よ。そんな簡単に会える場所じゃないもの」
俺の思いを彼女は解らないのか、それとも解っていて無視しているのか……あっさりと拒否の言葉が返ってくる。

「一体……何処?」

「……外国……ドイツ……」

外国……かよ……でも、でも!あの世じゃないんだ。地球の何処かにいるんだ!会いたいと思う限り、絶対に
あえない事はない筈だ。

「本当はね。このまま此処に寄らずに帰ろうと思ってた。あなたのことは忘れようと、だから今日はあなたの
顔を見ないようにしようって思ってた……でも、駄目だった。今朝 あなたの顔を見ちゃったから。……そし
たら、どうしても会わずにはいられなくて、会ってちゃんとお別れを言わなけりゃいけない気がして……気が
付いたら、此処に立ってた」

そんな、『このまま帰ろうと思っていた』なんて……何で、そんな……。

「だからって……だからって、『さよなら』しなくてもいいだろ!確かに、あえなくなるのは辛いよ。でも、電
話だって、手紙だって何だってあるじゃないか」
「ほら、最近の携帯はみんなカメラついてるから、時々写真を撮って送り合えば、お互い顔を見る事だってで
きるし……そうだよ。だから『さよなら』なんかしなくてもいいんだよ。ね?引越し先の住所と電話番号解る?
そっちについたら、すぐメール送るよ……あ、そうだ忘れてた。ねえ出発の日は何日?きっとその日は見送りに…

「ダメ!」

初めて俺に向かって浴びせられた彼女の激しい叫び。
こんな声は、あの時の先輩への言葉の他、聞いていない。
俺は、あの時の声を拠りどころに、待っていた。けれど、今の叫びの重さは、それと同じ。心臓に深く突き刺
さり、彼女への思いの分だけの重りを乗せて闇の其処へと引きずり込んで行く。
この重さと、君が元彼に放った一言、一体どっちが重いんだろう?


「私は、あなたの彼女でいる資格なんてない……あなたを愛する資格なんて……ないの」

「何を……言ってる……んだよ?」

「本当はね、あなたと付き合い出したのも、彼を忘れるためだった。勿論、あなたが彼の女の元彼だって事も最初からわかってたわ」

やめろ。

「お互いに好きな人を取られたもの同士、傷を舐めあうのには丁度よい相手でしょ?それに、彼へのあてつけには最高の相手じゃない?」
彼女の声は震えていた。

やめてくれ。
君の言葉が、信じられない。
それなら何故、声が震える?何故、声が所々で裏返る?

「だから、あなたの事、好きだから 付き合い始めたわけじゃないの。
それでも、その内、彼を忘れて……あなたを好きになってくるのかな って思ってた」

やめてくれよ……たのむ。

「でも……彼の事、忘れられなかった……結局、忘れる事はできなかった。解ってるでしょ?写真を棄てなかったのはそういう事なの」
彼女の目から涙が一つ、又一つこぼれていく。

どっちが本当なんだ。君の言葉と、君の涙と。
たのむ、嘘だと言ってくれ。言葉は、嘘だと、涙が真実だと……俺の事、まだ好きだと……言ってくれ。


「解った?私はこういう女なの。自分だけで傷付いているのが嫌で あなたを巻き込んだ。卑怯な女。
だから、私の事なんか忘れて、他の人を見つけて。あなたならきっと直に見つかる筈だから……」


言い終わると、彼女は俺に背を向け、一目散に階段を駆け下りていった。


違う。

絶対に違う筈。

こんな事で諦めるわけには行かない。

今なら、間に合う。

追わなきゃ。追って言わなきゃ。今 それでも君が好きだと。
追って確かめなきゃ。今言ったことは本当なのかと……君の心の中に自分の姿は一寸でもあるのかと。
そして、それが少しでもあるのなら、
強く抱きしめて言わなきゃ『君の心が自分で満たされるように、がんばる』と。


足は動かなかった。


朝と同じく、いやそれ以上の絶望感が俺をこの場所に縫い付けて離さなかった。
彼女を諦めきれない気持ちと同時に、これ以上彼女から残酷な言葉を浴びせられたくない気持ちで一杯だった。

―――お前はたった今、振られたんだ。彼女の言葉、聞いただろう?彼女の心に、お前の姿なんぞあるはず無
いよ。それなのに追いかけて如何する?改めて振られる気か?自分から傷口に塩を塗りこむお前はマゾか?―――

もうこれ以上、傷つくのは嫌だ。

『ヘタレ、臆病者!』
どういわれても構わない。確かに俺はこれ以上自分が傷付かない道を選んだのだから。

――傷付く事を恐れていては、人を愛する事などできない。人間、傷付かずに人生をまっとうできる事などありはしない。
たった一言に傷付いて相手を見放していたら、人生の伴侶を得る事など、ありえない。――

ならば、俺に人を愛する資格は無い。彼女を追うのを諦めた時点で、その資格を失ったんだ。


その瞬間、今まで早鐘の様な音をたてて脈打っていた心臓が、急速に静まっていく。
首から上に血が行き渡り、喉のつかえが、吐き気が、どんどん消えて行く。


――こんな人間は、一生恋愛なぞしないほうが良い。――
俺には、人を愛する資格はない。

この日を境に、俺は、人を……異性を愛する事を止めた。


5月、すっきりと晴れ上がった空は、日差しも強く、夏がすぐ其処に来ている事を実感させた。
今年一番の暑さとなった太陽の下、じんわり汗をかきながら、坂道を登っていく。
行く先には、公園が…海を、港を一望に見渡す公園がある。

そこでは、いつもの様に、カップルが、家族連れが、幸せを満喫するかのような笑顔を浮かべているだろう。

俺もそうだった。
かつて俺は、3年前、そして昨年、この場所を愛する人と訪れた。
そして、今、この地を訪れる傍らには、誰もいない。

俺には、その資格が無いのだから。

一人身の俺が、此処に来るのは、戒めのため。
幸せ一杯の笑顔をこの目に焼き付け、自分にはこの笑顔は相応しくないと言い聞かせるため。
人を愛する資格の無い者が人を愛して、不幸な相手を作らないため。。

俺にも、人を愛する時が、人を愛する資格を得る時が、来るのかは、解らない。
けれど、その時が来るまで、俺は此処に来続けるだろう。

戒めが綻びないように、不幸な人間を作らないように。


END.

コメント

その後

ヒロさんはどんな感じなの?

その後は?

誰だって臆病者だよ。俺的にはひろクンと香織には元に戻ってもらいたい。先輩から奪い返して欲しい。後日談お願いします。一人でいるなんて考えてないで香織にでも景子にでも、他の子にでも思いぶつけてよ。このままだと切なすぎてやりきれない。

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