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動き出した歯車(その9)

9月。
2学期
始業式が行われ、授業が再開された。
何事も無く。

あいつは、1学期当初のように、ちょくちょく俺の教室に来るようになった。
時には、一緒に昼ご飯を食べようと言って来る。
口の悪い連中は、すぐに『よりを戻したのか?』などと言って来た。
真相を知らなければ、そういう風に見えるとは思うが、とはいえ、本当の事を話す気にもなれない。
まあ、完全な間違いではないので、放っておく事にした。
何か、あの時あいつに言われたことが夢幻のように思えてしょうがない。
それはそれで、楽しい学園生活が送れるというものだろう。

授業が再開されたという事は、放課後のピアノも再開されたという事だ。
俺がピアノを演奏し、遠野景子が傍らで演奏を聴く、こちらも1学期と全く変わっていない。
演奏を聴いている時、彼女は大体 俺の右斜め後ろに座っている。
俺の目に入らないように、彼女の視線を感じないように、さりとて、存在は感じられるように、
俺が言わなくても、雰囲気を察知して最適と思われる場所に座る、その気配りの細やかさに何とも
言えない奥ゆかしさ、気品を感じていた。

演奏の間、彼女のしている事は、その日によって違う。
本を読んだり、勉強をしたり、時には何もせずただじっと俺の演奏を見つめている事もあった。

その日は、楽譜を眺めていた。
演奏の合間にちょこちょこと彼女の表情を観てみたが、譜面を読み解くのに夢中なのか、真面目な顔をして、譜面から目を離さない様だった。


今日の演奏が終わった。

「はい、楽譜。どうもありがとう。」

「ああ、持ってきてくれたの、ありがとう。」

と楽譜を受け取って、鞄にしまおうとした時、それを見た。
………な、何で…これが……………。

「あの………これ………。」

「ごめんなさい。楽譜の中にそれが挟んであったんですけど、何処の頁に挟んであったか忘れてし
まって。」

「ああ、いいよいいよ。別に栞替わりに使っていたわけじゃないから。」

どうやら、その紙の中身までは見てないようだ。
ホッとして、楽譜と一緒にその紙をしまおうとした。

「あ、あの……恵比寿ガーデンプレイスのスタインウェイって……何ですか…もしかして、そこで
リサイタル…」

「………………見ちゃったの。」

「ごめんなさい!…………………………見るつもりは無かったんですけど、ついつい………


見られたからには、仕方がない。彼女に事の次第を説明する事にした。


恵比寿ガーデンプレイス。
かつて、サッポロビール(もっと古くはヱビスビール)の工場があった所。
今は、お洒落なビルが立ち並ぶ、ちょっとしたデートスポット。
その一角に、野外ホール(屋内だが)のような場所があり、そこに外国産のグランドピアノが置いてある。
実は、そのピアノ、申し込んで抽選に当たれば、誰でも演奏出来るのだ。
外国産のピアノの名前は、スタインウェイ。
内外のトップアーチストが、コンサートで使用するピアノ。
それが、申し込むだけで演奏できるなんて、どうしてもついつい心が揺らいでしまう。
本当に、申し込んだのは魔が差したと言う他無い。
でも、申し込んだ日にちは、秋分の日。秋の連休の真っ最中。
まさか、当たるとは思っていなかった。
それが、まさか当たってしまったのだ。
当たった以上は、やる以外にない。しかし、恥ずかしい。
だから、当たった時は、家族には「来るな。」と釘を刺した。
(と言うか、両親も姉貴も日頃の俺の演奏に「ヘタクソ、近所迷惑(←姉貴はもう少し酷い言い方
をしていた)」などと言っていたから、来るはずも無いが。)
あいつ 香織にもこの事は言っていない。

「そうなんですか。何か、楽しみですね。」

「へ?」

「いや、だって田川君の演奏をそんな所で、しかも一流ブランドのピアノで聴けるなんて、ちょっ
とわくわくするから………」

「やっぱり………来るの?」

「行っちゃ…だめなんですか?」

さすがに、「来るな」という事は出来ない。

「いや…別に、そういう事は無いけれど……。」

「そうですか。じゃあ、楽しみにしてますね。」

口から、「ホッ」という息使いが聞こえた後、彼女は、雲一つ無い晴天のような、笑顔を俺に見せていた。

そんな、笑顔を見せられたら、とても「恥ずかしいから、来ないでくれ。」なんて言えないじゃな
いか。
なし崩し的に来てもらう事が決まってしまった。
女の子の笑顔に弱い俺。
男だったら、そんなもんなんだろうか。


「演奏する曲目は何なんですか?」

彼女は話題を変えてくる。

「今考えているのは、ショパンのバラード1番から4番まで。それに舟歌、幻想曲かな?」

「あの…………あれ はやらないんですか?」

あれ。
彼女が最初に聴いた俺の演奏。
リスト「詩的で宗教的な調べ第3番、孤独の中の神の祝福」。
彼女の殊のほかのお気に入りで、時々俺に「あの曲をやってくださいませんか?」とリクエスト
してきては、俺もそれに答えてたびたび演奏していた 曲。

「あれかい?」
「でも、あれはちょっと公衆の目の前で演奏するのは恥ずかしいな。」

「えー、そんな事ないです。私、田川君の演奏の中では、一番だと思います。」

「一番って、どういう事?」

「何て言うのかな、この曲だけは上手下手を通り越しているって言うか、………そう、この曲を聴
くと、何だか心が優しくなる感じがするんです。」

そこまで思い込まれると、演奏者冥利に尽きると言うものだが、
他の曲が一応先生の指導を受けているのに対し、如何せんこの曲は完全な自己流。観る人が観れば、稚拙な自己満足のかたまりで、
聴いているほうが恥ずかしくなるのは間違いない。
どうしても躊躇してしまう。


「でもなー、やっぱり恥ずかしいし…」

「…やっぱり、駄目ですか。残念だな……」

悲しそうな目で、そっと呟く。

「わかった、やるよ。」

全く、女の子のああいった表情には弱い。どうしても『NO』とはいえなくなってしまう。

「本当ですか?」

「本当だよ。だから、ちゃんと聴いてね。」

「はい。」

にっこりと笑う彼女。
結局、押し切られてしまった。まあ 喜んでもらえるなら、いいか。
…とここで、重大な事に気が付いた。
これって、デートになるんじゃ無かろうか。
あいつ以外の女の子とのデート、そう思った途端、あいつの顔が浮かんでくる。


ちょっと待て、これはデートじゃ無いだろ。それに、香織は先輩とデートしたり、エッチしたりしてるじゃないか。
仮におれが彼女とデートしたところで、非難される謂れは何も無いはず。

そう言い聞かせて、自分を奮い立たせる。

曲の演奏は終わり、彼女は帰ったが、俺は残って運指のトレーニングをしてから帰ることにした。

全てが終わったのは6時近く、かなり薄暗くなっていた。

校門まで歩いてきたところに、見慣れた人の姿があった。

「おーい、香………

おれの言葉は、半分も発せられない内に……・・

あいつが振り返った先には俺ではない、別人が居た。
その別人にいそいそと駆け寄り、側に寄り添う香織。
二人はぴたりと寄り添いながら、校門を出、帰路へと歩いていた。

何だか、胸が痛い。
でも、割り切るしかない。
所詮、あいつの正式な恋人は、いま一緒に出て行った人影、俺は裏の恋人ですらない存在。

自分の姿が二人の視界に入らない様、俺は30分程学校の近くをうろうろして、帰る事にした。


歯車は回り出した。


秋分の日、例のピアノの日の当日。
俺の演奏開始は 午後1時、それまでには後30分程ある。
会場では、俺の前の演奏者が熱心に演奏していた。
会場の入りは、パラパラ…というところ。
ピアノの前に置かれている椅子には、演奏者の身内の人間だろう、何人かが一塊になって、これま
た熱心に演奏に見入っていた。

彼女、遠野景子はまだ来ていない。本当に来るのかな?
まあ、来なかったとしても、それは仕方の無い事と諦めよう。

前の人の演奏が終わった。
時刻は、1時5分前、俺の番がくるまで後僅かだ。
緊張感が高まっていく。
不特定多数(というほどではないが)を前にして演奏するなど、本当に久し振りだ。
口の中が、乾く。手がかすかに震えている。

1時になった。
いよいよ、俺の出番だ。
簡単な紹介の後、ピアノの前に立って一礼する。
彼女は………来てない。
やっぱり、来ないか。
全身から力が抜けた。
演奏を開始。まずはショパンのバラード第1番。
その前に力が抜けたせいか、出だしがスムーズに行く。
何だか調子が良い。リズムもテンポも快調だ。つっかえたりギクシャクしたりする事が少しも無い。
あっという間に最初の一曲が終わった。


続いて、第2番。そして第3番。
これも快調に進んでいく。こんなのは初めてだ。
彼女は………やっぱり来ていない。
そして、バラードでは最難関の第4番。
多少難儀する所も遭ったが、大きな破綻も無く無難に仕上げる事が出来た。
一旦椅子から降りて、一礼する。
顔を上げつつ、客席を眺めると……………いた!
前から2番目の列、こちらから見て、正面ちょい左側に座っていた。
水色のワンピースに、クリーム色の薄手のカーディガンを着ている。
なんて可愛いんだ。彼女の所だけ、一段明かりが強くなっているみたいだ。
回りに居る若い男性たちもちらちらと彼女の方を観ている。全く、アベックできているというのに。

俄然、元気が出てきた。
彼女が来たので、後半はリストの曲に変更だ。
まずは、メフィストワルツ第1番。
これは、よくコンクールの課題曲にもなる曲なので、先生の指導をみっちりと受けている。その指
導の通りに弾けば良いだけだ。
すんなりと、無難に弾き終えた。
続いて、エステ荘の噴水。
こちらとしてみれば、相当の難曲だ。しかも完全な自己流。
ええい、ままよ!
今日の好調さをバックに勢いで弾ききってしまえ。
とりあえず終わらせることは出来た。さすがにこんな曲を殆ど練習もなしにするのは暴挙だった。

彼女の方をみると、こちらの演奏を真剣な眼差しで聴いている。

いよいよ、最後の曲、彼女がリクエストした曲だ。


リスト作曲、詩的で宗教的な調べ第3番「孤独の中の神の祝福」
ラマルティーヌの詩を題材に創られた、標題音楽。
文字通り、詩的で(ピアノを歌わせて)、宗教的に(厳かに(荘厳にではなく))演奏する必要がある。

この曲だけは、今日の日のために練習した。
色々なプロの演奏も聴いた。そのために何枚もCDを買った。かなりの散財だったと思う。
だから、この曲に対する自分のイメージはきっちり出来ていると思う。
この曲は、ピアノを歌わせなければいけない。しかし、歌わせすぎてもいけない。
やりすぎると、下品になる。こぶしの利いた演歌になってしまう。
やり足りないと、物足りない スカスカの演奏になってしまう。
ゆっくりと、ロマンチックに歌い上げて、でもやり過ぎないように抑えて。
そんな相反する事を心の中で呟きながら、この難曲と格闘する。
一音たりとも疎かにはできない。
こんなに緊張した事は、コンクルールでもない。
でも、こんなに集中したことも、生まれてこの方無い。本当に今日は絶好調だ。
最後の一音を響かせて、この曲が終了した。
と同時に思いっきり溜息をついた。客席から、拍手が沸く。
成功だ。ピアノをはじめて以来の最高の演奏だった。
彼女を見る。満面の笑顔で拍手をしている。どうやら今日の演奏に満足したようだ。
聴衆に一例をし、全てのプログラムが終了してから、もう一度彼女の方を向く。
それに気付いたのか、彼女がこちらに向かって来た。
一歩、二歩と俺との距離を縮めてくる。

「もー、水臭いんだから。」

え?
聞き覚えのある声に、思わずその声の方を向く。
そこには、香織がいた。


「何で、お前がここに………

「あんたのお母さんに聞いたの。」

お袋か…………っっったく、余計な事しやがって、
頭が痛くなる。

「もぉ、別に隠さなくたって良いじゃない。」

「別に、隠したわけじゃないけど、お前の方の予定は無いのかよ。先輩はどうしたんだ。」

「前にも言ったけど、先輩はひろクンには関係ないでしょ。」
「暇だったの。だから ひろクン誘ってどこか行こうかなと思って携帯にかけたのに、ずっと電源切りっぱなしだったでしょ。」
「仕方ないから家のほうへかけたんだよ。」
「そしたら、おばさん『え?今日は博昭と一緒じゃなかったの?』て言うし、こっちは訳判らないし、大恥かいちゃったよ。」
「大体、こんな事隠してたってしょうがないじゃじゃい。」

いや、だから隠したわけじゃないんだって

「どうせ、演奏聴きに来てくれるようなガールフレンドいるわけじゃないんでしょ。だったら…

「あのー……………

一方的にまくし立てているあいつの科白に突然割り込みが入った。
不意を突かれたのか、あいつは鳩が豆鉄砲食らったように、まん丸の目で口を半開きにして凍りついている。


声の方を向くと、遠野景子が不安そうに立っていた。
この状態にいても立ってもいられなくなったのだろう。

「ちょ、ちょっと待っててくれる?すぐに終わらせるから。」

彼女にそう言い、再びあいつに顔を向けた。
その間にあいつの表情は一変していた。
視線を落とし、こちらに顔を向けようとしない。
全身からオーラのようなものが溢れ出している。
気まずい沈黙が流れた。

「……………………………」

「……………………………」

「……………………………」

「その人…遠野さん?」

意を決して放たれたあいつの言葉は、意外にも弱弱しく小さな声だった。
両手には拳が握られ、肩のあたりが少し震えている
まずい、これはまずい。
何とかしないと。

「うん…………、そう。」
とりあえず、質問に答える。が、その後が続かない。
あいつも黙ったまま。その右手の拳がキュッ握り直される。
またもや、沈黙。


実際の時間は短いのだろう。しかし、こちらには酷く長く感じられる。

「な……わたし………ない……………とお……………なの。」
あいつは下を向いたままぶつぶつと何か言っている。が、小さすぎて殆ど聞き取れない。

「おい、何を言っているんだよ。そんな小さな声じゃ何も聞こえないだろ。」
答がえない。
だめだ、修羅場だ。
どうした良いんだ。
俺が何をしたっていうんだよ。



「あははははははー、ごめんごめん。」

?!
さっきまでの表情は一瞬で消え去り、あいつは晴れやかな笑顔で話し出した。

「何だ、そういうことだったの。早とちりしちゃった。」
「もぉ、こういう事なら前もって言って置いてくれれば、こんな事しなかったのに。」
「まあ、ひろクンにもこういう可愛いガールフレンドがいたなんて、知らなかったからちょっと
びっくりしたけれど、お姉さん嬉しいよ。」

堰を切ったようにまくし立てて来る。
俺は、訳が解らず ただぽかんとしているだけだった。


「それじゃ お邪魔な様なので、お姉さん消えますから。」

言うだけ言うと、くるりとこちらに背を向けて、足早に歩き出した。

「おい、ちょっと!」

呼び止めようとして 2、3歩 歩き出し、ふと後ろを振り向いた。
遠野景子が不安そうな顔でこちらを見つめている。
やっぱり、彼女を置いてけぼりにはしておけないよな。そう思い、彼女の方へ駆け寄った。

「いいんですか?」

彼女に言われて、周りを見渡すも、あいつの姿は既に雑踏にまぎれて 発見できなかった。

「しょうがないさ。それよりちょっとお茶でもしよう。」

「はい…」

今さっきの騒動で人垣が出来ている。
周りの人たちの視線が痛い。
とにかく、この場から離れたかった。


「今日の演奏、どうだった?」

「最高でした。どの曲も素晴らしかったです。」

「お世辞でも そう言ってもらえると、嬉しいな。」

「お世辞じゃないですよ。特に最後の曲は…えーと、……なんて言うか………、
「とにかく、言葉じゃ上手くいえないけれど、最高でした。」

「あ、そういう風に言われると、何か嬉しいな。あの曲は、特に気合を入れて練習したからね。」

「………私も……嬉しい。」


なんていう会話を期待していた。
そうなるはずだった。

が、

「……………………………………。」

「……………………………………。」

「……………………………………。」

「……………………………………。」


喫茶店に入ってから、かれこれ30分はたつというのに、全く言葉が出てこない。

ただ、いたずらにコーヒーを口から胃に流し込んでいるだけだった。

彼女に至っては、カフェオレを口にもせず、ただ ずっとかき混ぜているだけだった。

気まずい。何とかして会話を切り出さなければ。
そう思うものの、どうやって会話を始めてよいか解らない。
ただ、焦るばかりだった。

そんな中、最初に沈黙を破ったのは、彼女の方だった。

「あの…………さっきの人、……伊藤さんですか?」

結局、この話にならざるを得ないのか。

「そう…だけど。」

「後を追わなくて良かったんですか?」

「今日はあい……伊藤さんは呼んでなかったし、…君のこと、置いてけぼりにはできなかったから
……」

「そう…でも、今日の事 ちゃんと説明しておいた方がいいと思います。でないと振られちゃいま
すよ。」

「そんな、振られるような事にはならないよ。」


「そうですか?今日の事、彼女きっと誤解しています。」
「伊藤さんて、田川君の恋人ですよね。こういう誤解って、恋人関係には一番危ないと思うんです
けど。」

「いや、だから お…僕は伊藤さんの彼氏じゃないって。だから振られる事も無いよ。」

「え? だって、合格発表の時の事なんて……てっきり、恋人同士だと思ってましたけど、」

「いや、僕もそう思っていたんだけどね、つい2ヶ月ほど前、『付き合ってる人がいる』って言わ
れて、振られてしまいました。」

「え?本当に?」

「本当だよ。」

「……相手は…

「相手?……サッカー部の中川先輩だけど」。

『中川』の二文字を聞いた時、彼女の肩がピクッと跳ねた様に見えた。

「そう……………ご、御免なさい! こんな事訊いちゃって。」
「無神経でしたよね。」

「いや、いいよ。もう慣れたから。」

嘘だ。この話が出る度に、心臓に何かグサグサ刺さるような痛みを感じているのだから。


「やっぱり、ショックでした?」

「そりゃあね、自分では恋人だと思っていたから、他の人と付き合っているなんて言われた時は、目の前が真っ暗になったよ。」

「そう…なんですか。」

彼女は、黙ってしまった。


くそ、何の話をすりゃいいんだ!



「やっぱり 男の人でも、こういうときは慰めて欲しいものですか?」

又しても沈黙を破ったのは、彼女の方だった。

「あ…ごめんなさい こんな事訊いて。」
「悪気があった訳じゃなかったんですけど、『どうなんだろうな』と思ったら、つい口に出ちゃっ
て。」

「別にいいよ、気にしてないから。 だから、君もあんまり気にしないで。」

「ごめんなさい。」

「まあ 一般論で言えば、男であれ女であれ、こういう時は誰かに慰めてもらいたいものじゃない
かな。」


「やっぱり…そうですか。」
「でも、どうやって………

「『どうやって』て……どういうこと?」

「あ…いえ…別に………

彼女は曖昧な事をしたきり、口をつぐんでしまった。

「慰めてあげたい人でもいるの?」

答えは返って来ない。
一分くらいはたっただろうか。
「………はい。」
ただ、その一言が返ってきた。

何だ、そうだったのか。
俺の事 慰めてくれるのかと、ちょっと期待したけれど、甘かったか。
そうだよな。彼女だって女の子、好きな人が居てもおかしくないし、その人が落ち込んでいたら、
慰めてあげたいと思うのは当然だよな。
って言うか、こんな可愛い娘ほったらかしておいて、他の娘に熱を上げた上振られるたぁ、どうい
う奴だ。全く顔が見てみたい。
俺だったら、そんな女捨てて彼女の方に走るぞ。

と、一人合点して、勝手に腹を立てているとことに気が付いて、慌てて彼女の方に目をやると、何や
ら悲しそうな、すがるような目で俺の方を見ている。


いかん、彼女のこんな顔見たくない。
何とかしなきゃ。
「…と、慰め方だよね。」
「うーん、こればっかりは、人それぞれなんで何とも言えないけれど、僕だったら、何にも言わな
いで黙ってずっとそばに座っていて欲しいな。」
「まあ、これは慰めてくれる人が女の娘だったらに限るけれど、その胸にそっと抱きしめてくれた
ら、言うことはないけどね。」

「胸…ですか。」

「あ…これは、あくまで僕の個人的な意見だから。その人がそういうことを望んでるとは限らない
し、解っていると思うけど、大体そんな事をしなければいけない事は何も無いのだからね。」

「…ええ。」

返事も、心なしか元気が無い。
くそ、こんな辛気臭い話ばっかりじゃだめだ。とにかく話題を変えなよう。

「それよりさ、今日の演奏 どうだった?」

「ええ?」
聞こえてなかったのか、びっくりした様子だ。
「今日の演奏。」
「どうだった?この日のために気合を入れて練習してきたから、自分じゃ結構自身があったんだ
けど。」


「あ……ああ、良かったです。最高でした。」

何か、心此処に在らず という感じで、俺の訊いたこともよく解っていないような気がする。

「本当に?」

「本当ですよ。」

「じゃ、何処らへんが良かったの?」

「そう…全部、全部良かったです。」

「本当?お世辞じゃなくて?」

「本当です。あ、疑ってますね?ちゃんと聴いてましたよ。どれも素晴らしかったです。」

「そう、じゃ その中で特にどれが良かったかな。」

「やっぱり、私は最後の曲が良かったと思います。今まで聴いていたのとは違って…ああ、今までのも凄く良かったんですよ、でも、今日のは全然雰囲気が違っていて、…何か、こう…高貴な感じがして…
「すみません、自分の気持ちが上手く伝わらなくてもどかしいんですけど、とにかく素晴らしい演奏でした。」

「そう言ってもらえると、一応今日の為に練習してきた身にとっては嬉しいな。」

「あ、でも…最後の曲、私にはいつも聴いている方のが好き かな?」


「どういうこと?」

「ごめんなさい。今日のは本当に良すぎて、…何か、こう…神様が出てきちゃって、ちょっと気後
れしたみたいな感じで。」
「いつものは、もっとこう…普通な感じの優しさで、自分も優しくなれるような気がするんです。」

「そう、何だか難しいね。」

「ああ…でも、演奏そのものは今日の方が断然良かったと思います。」

「うん、でも 聴きに来てくれた人には、喜んでもらいたいし、全てを満足させる事はできないと
解っているのだけれど、難しいな と思ってね。」
「とはいえ、今日の演奏は成功だったと思っていいかな?」

「はい、勿論。」

にっこりと微笑む彼女。
良かった。ようやく笑ってくれた。

あいつと鉢合わせした後、ずっと暗そうな顔をしていたので、どうしたらよいか解らなくて不安だ
ったけれども、笑顔が出てきてくれたようで ほっとした。
やっぱり 可愛い娘には、笑顔が一番良く似合う。

この後、輸入雑貨の店や何かをウィンドウショッピングしたところ、彼女は陶器製の猫の置物にかなり興味を示していた。
今日来てくれた御礼に買おうかと思ったけれど、値段を見て速攻で断念した。(ゼロが一つ余計だった。)
プレゼントは又の機会にして、二人でアイスを食べながら家路に付くことにした。

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