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さよなら明日香 その3

 それから、二人は半同棲のような形でその後の数カ月愛を育んだ。
それは素晴らしくて、優しくて、これがずっと続くものだと裕樹もそして明日香も思っていた。
もし、自分の気持ちを言葉なしにでも伝えることができたなら、
相手の不安な気持ちを零すことなく感じるできたなら、
大事な一言を自尊心を隠し言うことができたなら、
悲しく危険な言葉を吐かずにすむことができたなら、二人の愛はずっと続いたに違いない。
この世界ではお互いが思い合っている幾つもの二人が別れているのだろう。
その度にそれらの二人は裕樹や明日香のように傷付いているのだろうか。


 その日の朝、明日香はいらいらしていた。
裕樹は昨日の夜、久しぶりに明日香のアパートにやってきた。
久しぶりの訪問を裕樹は楽しみにしていたが、その夜、二人がした事は喧嘩だけだった。
裕樹はふて腐れて床に寝て、明日香はベッドで寝た。
 けだるい朝、裕樹と明日香はアパートから出ようとしていた。
明日香は大学へ、裕樹は裕樹の家へ帰る。
裕樹が扉を開けようとすると明日香が呼び止めた。
「ちょっとまって、裕樹」
 裕樹は怪訝に振り返る。
「何?」
「ちょっとこっちに来て」
 明日香はテーブルの前に座っている。
裕樹は不安な様子で部屋に戻り、明日香の前に座る。
「明日香、時間大丈夫なの」
 明日香はその問いには答えない。
「裕樹、将来のこときちんと考えてる」
 裕樹は胸が詰まりそうになる。最近の明日香は大学の三回生になり、就職活動を始めた。
だからか、大学から帰っても機嫌がよくないことが多い。だからこの話にはよくなる。
昨日の夜もこの話から喧嘩になった。
「うん、まあ」
 裕樹は曖昧に答える。
「それじゃ、わからないよ。いつも、ごまかしてばかり。これからのこと本当に真剣に考えてるの」
 裕樹は俯いて黙る。
「・・・もう、いいよ・・・遅れるからいくね。今日は遅くなるし、
疲れてるから裕樹は自分の部屋に帰って」
 明日香はそのまま振り向かず出ていった。

裕樹は俯いたままだった。大事な言葉が出ない。
裕樹は明日香の部屋から出て鍵を閉める。自分の部屋まで自転車を漕いで帰る。
力なく漕がれる自転車はふらふらと現実を進む。
 部屋に辿り着いた裕樹は濁った空気の部屋に入る。
ベッドに倒れこみ、ベッドの側にある本を壁に投げ付けた。
裕樹は会計の専門学校を卒業してフリーターになった。
周りのみんなが就職していく中、裕樹は出遅れた。
先生に頼るのが恥ずかしくて、先生には強がり、そのまま行く当てもなく卒業した。
裕樹は専門学校で簿記一級と税理士の簿記論、財務諸表論の資格を取っていた。
それこそ、死ぬ程勉強した。でも、その気持ちも何処かで途切れてしまった。
しかし、明日香とであってからもう一度頑張ろうと思っていた。
だから、最近、合間を見ては勉強をし始めた。でも、明日香には言えなかった。
いつなれるとはわからないものを、現実に直面している明日香には言えなかった。
それに、一人で勉強するのはやはり大変で、ブランクを取り戻すのも大変だった。
夢を話すことを自尊心が邪魔をした。「明日香・・・」裕樹は呟いた。
 明日香はバイクを駐輪場に乱雑に止め、駅に走った。息を切らせながら電車に乗りこむ。
席に座るとリクルートスーツの乱れを直す。次の駅で見知った顔の男が乗り込んできた。
「よっ、村上」
「おはよう、辻内君」
 同じ学科の辻内和史。
「どうしたの、なんか恐い顔してるけど?」
「ううん、なんでもない」
「彼氏とでも喧嘩した?」
 明日香はドキッとする。
「そんなことないよ。そんなこと聞くなんて失礼だね」と頭を振った。
「ごめん、ごめん、冗談」
 辻内は笑った。
「今日は、何処かの面接?」
「ううん、今日は就職課にいくの」
「そうなんだ。ねぇ、今日の昼、学食で待っててくれない。就活の情報交換しょうよ」
「・・・うん、いいよ。辻内君はこれからどうするの?」
「一個面接入ってるから、一時ぐらいにはいけると思うから、ついたらメールするよ。
それじゃ俺次で降りるから」
 辻内は手を振って電車を降りた。明日香も手を振り返す。
これから戦場に向かう同志に合ったことで明日香はなんだかやる気が出てきた。
「よしっ」と心の中で、拳を握った。


 就職課に言った後、明日香は学食に向かった。
席に座ると、直ぐに中の良い大崎あゆみが明日香を見つけ駆け寄ってきた。
「明日香!」
 明日香は声のするほうに振り向いた。
「あゆみ」
 あゆみは明日香の肩に捕まると、明日香の顔を覗き込んだ。
「うーん。どうした。元気がないぞ」
「そんなことないよ」
「就活上手くいってないの?それなら心配しないで、あたしなんか全然だから」
「大丈夫だよ。しんどいことはしんどいけどね」
「うっ、とすると、裕樹のことか」
 明日香は俯く。
「どうしたのよ。なにかあった」
 そう言うとあゆみは明日香の対面に座ると、身を乗り出した。
「何もないよ」
「そんなことない。いいなさいよ」
「もう。いいよ」
「い・い・な・さ・い」
 あゆみの聞きたがりの執念は収まりそうもない。仕方なく明日香はことの成りゆきを喋る。
「そう言うことか」
 あゆみは何度か頷く。
「就活がらみで良くある話ね。現実に直面した明日香と、そうじゃない裕樹」 
「最近の裕樹の姿を見てるとイライラするの」
「明日香みたいなおっとりした子まで、イライラさせるとは就活恐るべし」
 あゆみは溜め息をついて首を振った。
「で、なに、明日香と裕樹は住む世界が違うとでも言うの?」
「そんなことないよ。そんなことないけど・・・」
「明日香は裕樹のことフリーターだって知ってて付き合ったんでしょ。
それでも裕樹のことが好きだって。明日香は裕樹のいい所一杯知ってるんでしょ」
「ねぇ、お二人さん何喋ってるの」
 辻内が突然二人の間に割って入る。


 あゆみは辻内に向けて、しっ、しっと手を振った。
「何だよ、俺はこれから村上と就活の情報交換するんだよ」
 あゆみが明日香の方を向くと、明日香は頷いた。
「あっ、そ。じゃあね」あゆみは辻内にそう言うと、
明日香に向かって「ちゃんと話しなくちゃダメだからね」と言って立ち去った。
 あゆみは遠目で見える明日香と辻内に言い様のない不安を感じた。
あゆみはバイト先以外での唯一の裕樹と明日香の共通の友達だ。
裕樹はあゆみによく二人の事を相談していた。
あゆみの聞き上手もあって、話下手の裕樹も何でも話せた。
裕樹の夢について知っているのも、あゆみだけだった。
裕樹はもちろんそのことを明日香には言ってはダメだと釘を刺しておいた。
あゆみもあゆみで口は固い。だから、二人のことを影でやきもきしながら応援していた。
でも、今日の辻内の姿を見た時から不安になった。
「あゆみ・・・」でも、あゆみはかたい子だから。
なんせ裕樹と出会うまで、付き合ったことすらないんだから。
そう思うと、取り越し苦労かと溜め息をついた。


「村上、さっき大崎と話してたの、やっぱり彼氏のことだろ」
「・・・うん」
 明日香は苦笑いで答えた。
「やっぱり、朝から様子おかしかったし。
でも、村上みたいな可愛い子を悲しますなんて何考えてんるんだ」
 明日香は頭を振る。
「私が悪かったの。相手の気持ちも考えてあげないと」
「そうかなぁ。お互いの気持ちを正直に言い合えてないのって、本当に心が通じ合っているのかなぁ」
「そんなことないよ。ちょっと彼の気持ちがわからなくなっただけだから」
「それだよ、男って、口にしないだけで、色んなこと考えてるから」
「・・・そう」
「よし、わかった。今日相談に乗るよ。
俺だったら村上の彼氏の気持ちもわかるだろうし、就活中の村上の気持ちもわかるから」
「えっ、いいよ。大丈夫だから」
「いいから、いいから、こういうのは話を聞いてもらってすっきりするのがいいんだって。
なっ。よし今日飲みに行こう。飲んだほうが話しやすいだろうし」
「えっ、でも・・・」
「今日、××駅に六時に待ってるから。ついたら、メールして。
じゃっ、これから、ちょっと用事あるから」
 そう言うと、辻内は立ち上がった。
「あっ、待って・・・」
 明日香が声をかけた時にはもう辻内は立ち去った後だった。
「どうしよう」
 明日香の脳裏に裕樹の顔が浮かんだ。


 罪悪感を抱えながら明日香は××駅前に来ていた。
「相談するだけだから」そう心に言い聞かしていた。
辻内にメールを打つ。メールの返事はすぐに来た。すぐ側にいるらしい。
不意に手を引かれた。吃驚して振り返ると、辻内だった。
「大丈夫、人波みにさらわれそうだったよ?」
「あっ、辻内君」
 明日香は手を握られたことに深い罪悪感を感じた。
明日香は「そこにいたんだ」と大袈裟に手を振る拍子に手を離した。
辻内はその行為に感心がないように言う。
「行き付けの店があるから。さ、行こう」
 明日香は歩き出した辻内の後ろを慌てて歩き出した。

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